OB会相談役 和泉先生よりお借りしたものをPDFファイルで公開させていただくことになりました。
下記の文章が始まりの1ページ目で 公式戦の成績なども含め全71ページあります。
原文をそのまま掲載していますので記録のない年代もありますが、ご了承いただきますようお願いします。
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◆ 創 部 ◆
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智辯学園高校は昭和40年4月、金剛一紀伊一吉野の山並みを見渡す景勝の地・五条市野原町417番地に創立された。
藤田照清学監(現学園理事長、智辯学園奈良・和歌山両校校長)は学校創立当初から「全校生がスポーツや文化活動を通じて青春のエネルギーを燃焼させ、青春を謳歌し、智辯学園の生徒としての一体感を培ってほしい」と願っていた。
野球はその願いを実現させるのにふさわしいスポーツであり、藤田学監の野球にかける情熱もひとしおだった。
五條市の少年野球は20年代後半から盛んになり、県内の大会では毎年上位に名前を連ね、しばしば優勝していた。
この野球好きの五條市民気質と藤田学監の野球にかける情熱とが一致して、その後の智辯学園野球の歴史が始まったのだ。
しかし、当時の県高校野球界の名門校は天理・郡山・御所工業などで、甲子園を目指す五條・少年野球の選手たちもこれらの高校へ進学する者が多く、智辯学園へは開校と同時に野球好きの中学生が集まったけれども、選手層の厚みという点ではこれらの高校に及ばなかった。
野球部も他のスポーツ・クラブと同様に、40年4月に同好会としてスタートした。
同年8月末に野球場(現・第1グラウンド)が完成したので9月6日に野球場開きを行うことになり、野球同好会は野球部に昇格した。
この日は学園創立者で学園長の大森智辯・辯天宗宗祖をお迎えして盛大に野球場開きを行うことにし、球場開きを祝って親善試合も計画された。
初めての対外試合なので少しは名前の通った学校と試合をしたいと考え、いくつかの高校野球部に「智辯学園高校です。野球場開きに当たって試合をお願いしたいのですが…」と申し込んだが、「智辨学園ってどこにあるの」といった調子で、なかなか相手にしてくれない。
「また断られた」とガッカりしながら大淀高校に電話をしたところ、「球場開きおめでとうございます。お相手しましょう」という返事。
学園創立者の御宗祖は吉野町飯貝の御出身であり、吉野町は大淀高校の校区でもあるので、藤田学監や和泉野球部長にとって大淀高校野球部監督の好意は大変うれしかった。
こうして初の対外試合が大淀高校野球部との間で行われ、しかも6-1で初勝利をおさめたのである。
その後の智辨学園野球部の輝かしい歴史がこの時に始まり、幸先のよいスタートだった。
40年秋には県高校野球連盟に加盟し、同年秋の県大会で公式戦に初出場したが、1回戦で大宇陀にO-6で敗れた。
部員たちは浪商出身の山本集・初代監督の指導のもとで、早朝練習や夜間練習などの厳しい練習に耐えて頑張った。
その結果41年春の県大会では1回戦で畝傍を4-1で破って公式戦の初勝利を飾った。 |
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